岐阜市・戦後復興の問屋街 3

前回の続きです。

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引き続き「問屋町東2丁目」。
中問屋町から続いた南北軸の通りはここで終点で、左右に通りが分かれています。

左の建物の2階の庇を見るとカーブしていますね!
東2丁目で角に位置する建物の多くがこのようなデザインになっていることから、計画的に整備された問屋街であることが分かります。

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突き当たりから左(西)を見るとこんな感じ。
どの店舗もバラバラの建物のようですが、2階の庇が揃っていたり、通路からシャッターまでの距離が揃っていたりと、統一感がかなり出されています。

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突き当たりから右(東)はこんな感じ。
少し進むとまた奥(北)へと細い通路が繋がっています。
続いているようなので見てみましょう。

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通路は今までの半分の幅になり、せり出した両脇の建物から圧迫感を感じます。

そして、その先は青いカーペットの敷かれた通路に変わっています。

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しかし、まっすぐ進むとその先は侵入禁止。アーケードが途絶えています。
調べてみたところ、以前はこの先に建物があり、その中を通って他の通りにも繋がっていたものの、解体されて現在駐車場になっているようです。

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繊維の問屋街らしく、布が吊るされています。
「…れる、心にふれる この一着」というキャッチコピー、ファッションシティを名乗るだけありますね。
そのすぐ下には時計があります。時計が多いのは昭和に賑わった場所の定番アイテムですね。

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すぐに左(西)へ曲がる道があったので曲がると、赤と青の線が入ったテントが両脇からせり出した「問屋町東1丁目」がありました。
ここは2階建の長屋が両脇にあるため、このような景観になっています。
様々な旗や鮮やかな看板があるため、とても派手な印象です。



以上!
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